エッセイ

「墨はじき」に教えられて

 現在、私は「墨はじき」という技法を仕事の柱として家業に励んでいますが、この技法を通じ、目に見えにくいところへの神経の大切さを実感しています。
 江戸期、今泉今右衛門家は佐賀・鍋島藩の御用赤絵師として、「色鍋島」の上絵付の仕事に代々努めてきました。しかし明治に入ると、色鍋島の御用赤絵屋の制度もなくなり、そこで十代今右衛門は明治六年に本窯を築き、生地造りから下絵付け、施釉、本窯焼成、上絵付け、赤絵窯にいたるすべての工程を一貫して行う体制に乗り出しました。そして代々の今右衛門が、江戸元禄期の最盛期の「色鍋島」の復興に努め、昭和二十七年・国の無形文化財の指定、さらに昭和四十六年には国の重要無形文化財保持団体の指定を受け、今日の今右衛門の基礎が築かれました。
 「色鍋島」というのは、江戸期、幕府への献上品、各大名からの注文品、城内用品を目的として造られた色絵磁器です。そのため精巧な技術、斬新な意匠、高い品格が求められ、代々が真摯に家業に努め、技術が継承されるとともに、その姿勢・精神も継承されてきました。
 現在十四代今右衛門として、古くから続く技術を継承しつつ、現代の色鍋島の品格を追求するなかで、白抜きの「墨はじき」の技術を仕事の柱として家業に取り組んでいます。この「墨はじき」とは、江戸期から鍋島ではよく使われた白抜きの技法です。技法の手順としては、まず墨で文様を描き、その上を染付の絵具でぬります。すると墨に入っている膠分が撥水剤の役目をし、墨で描いた部分が染付の絵具をはじき、その後、素焼きの窯で焼くと墨が焼き飛び白抜き文様が現れるという染織のろうけつとよく似た技法です。
 江戸期の鍋島を注意深く観察すると、この「墨はじき」による白抜きの文様が、主文様を引き立たせるために背景に使われていることに気付かされます。「墨はじき」による白抜きの技法は、染付にて線描きされた部分と比べるとやさしい控えめな印象を与えます。鍋島ではその特性を最大限に生かし、主文様を引き立たせるためにこの「墨はじき」が背景に使われ、脇役の表現方法として考えられています。この「墨はじき」で表現された部分は、一見、染付で描かれたときと同じように見える場合も多いのですが、そこをあえて一手間二手間かけて「墨はじき」の技法を使い背景を控えめにするというところに、鍋島らしい神経の遣い方をみることができます。
 鍋島の仕事に携わっていますと、石を砕く仕事、生地造りの仕事、釉薬の仕事、窯焚きの仕事、そして絵具の調合、道具作りの仕事、さらにお客様へのもてなしの仕事にいたるまで、このように目に見えにくいところに、あるいは出来上がってしまえば目に見えないところまで一手間二手間かけ神経を遣うことが多いのが事実です。通常、目に見える所に神経を遣うのは当然のことですが、この「墨はじき」のような目に見えにくいところや人が気付きにくいところに神経と手間を惜しまない感覚、そして効率化の裏側にある考え方というものが鍋島の高い品格に繋がる一因になっているのではないかと最近思えてなりません。
 工芸という仕事、品格を求める鍋島の仕事に身をおくなかで、この「墨はじき」の技法によって、何か伝統工芸の手仕事の大切なものを教えていただいたような気がします。これからも日々、「墨はじき」のような、陰翳・細部にも神経と手間を惜しまず心を配る姿勢を大切に仕事に励んでいきたいと思っています。

色鍋島今右衛門技術保存会会長   十四代 今泉今右衛門

(「文化庁月報」 No508 平成23年1月号 文化人の気魄より)