今右衛門の代々の仕事は、江戸期は鍋島藩の御用赤絵師として、ずっと上絵だけを生業としてきた家であるが、明治に入り、藩の保護を離れてからは上絵だけではなく、成形からの一貫した制作に乗り出した。しかし、窯が良く焼けずに10代の頃は、大変な苦労であったと聞いている。その頃の作品であるが、当時は、有田として、数人集まって、会社を設立しなければならないという風潮があり、今右衛門も窯焼数件集まって、「励工社」という会社を作ったと聞く。そのような理由から底に「励工社」という文字が赤絵で入れられた貴重な作品である。当時、流行った古伊万里写しの手付瓶である。
(文・14代今泉今右衛門)
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