明治に入り、鍋島藩の保護を離れた後、一般の人は鍋島の存在を知らないため、注文があるのは古伊万里や中国・清朝磁器の写しの焼物であった。その頃の作品で、10代は清朝写しの磁器も数多く手がけている。色絵には洋絵具が使われているが、当時のパリ万博の際、有田に技術革新をもたらすのがドイツ人科学者のワグネルだった。
ワグネルが有田を訪れたのが1870(明治3)年、染付の化学顔料「コバルト」や石炭窯を伝え、有田の窯業界に「科学」を取り込む端緒となり、洋絵具も取り入れられた。高台内の中央部には上絵で花絵が描かれており、「今右衛門」の銘は入っていないため、一般には10代今右衛門と判り難い作品である。
(文・14代今泉今右衛門)
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