初期伊万里の窯跡の物原(ものはら)からの発掘品である。昭和30年頃、父・十三代今右衛門が窯跡の物原(多分、百間窯のようであるが)から拾ってきたものであるが、拾ったときは二つの茶碗 がくっついていた。どちらの茶碗 を生かすかを考え、一方を削り落とし、この茶碗を残したと聞く。釉薬もしっかりと融けた小ぶりの茶碗 である。
父は若い頃から、窯跡やその物原の保存に力を入れてもらうよう町や県に何度も訴えてきたが、なかなか実現せず、有田にしっかりと保存された窯跡はひとつもない。最近、有田町の広瀬向窯という17世紀中期から明治期まで稼動した窯跡と物原が調査されている。窯跡の残り具合と物原の規模の大きさが壮大で、是非とも何らかの形で保存してほしいと願い、有田古陶磁研究会という私的な会ではあるが、現在有田町と議会と教育長に要望書を提出している。
他からは窯跡を世界遺産にという動きも出ている。この機に、今まで重要視されていなかった窯跡や物原が議論され、有田の過去の歴史に感謝する風潮が生れることを期待する。
(文・14代今泉今右衛門)
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