この作品は、父・十三代が若い頃、旧西有田町の広瀬窯の窯跡にて表面採集した際、拾った陶片をつなぎ合わせた瓶である。陶片はすべて揃っていないため、裏面には穴が空いている。
三年程前、この広瀬窯の窯跡の上に県道を通すという話が、窯跡の十分な調査もされないうちに進んでいた。そこで、当時地元の若手により、古陶磁や古窯跡を勉強する会として発足した「有田古陶磁研究会(仮称)」から、県道建設に対し、もう一度検討してもらえないかという要望書を提出した。そのことにより、現在、調査が進み、広瀬窯の全容も明らかになり、以前1640年代といわれていた広瀬窯の釉裏紅が1650年代になるとのことであった。この広瀬窯は、窯の上壁が残っている貴重な窯跡であり、また、17世紀中期から幕末まで続く稼動期の長い窯である。出来ることであれば景色も良い場所でもあるし、何かの施設として残してほしいが、少なくとも、埋めて戻すことになって次の世代に活用・研究を求めることになっても、今回、県道建設により窯跡が寸断されることが避けられることになったことは好かったと思う。
(文・14代今泉今右衛門)
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