江戸時代が終末をつげ明治になると、鍋島藩窯がなくなり御用赤絵屋の制度も消滅しました。その反面、一貫した磁器生産が可能になり、十代今右衛門は明治6年に本窯を築き、色鍋島をはじめ一連の古伊万里様式の磁器の製造に踏み切りました。時代の転換期に当たり、伝統の技術を継承することに懸命であったのはいうまでもなく、明治より大正初期にかけて技術的にも、経営的にも苦難の日々でしたが、その苦境を乗り越え、優れた赤絵の技法を確立しました。
陶歴
1848年 | 今泉藤太(10代)生まれる |
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1873年 | 10代今泉今右衛門襲名 |
1927年 | 歿 |
作品集
色絵唐子文皿 |