エッセイ

色鍋島と今右衛門の現代 (2)

この文章は2006年雑誌「炎芸術 No.86」にて14代今右衛門がインタビューを受けた内容です。

インタビューその2
雪花・雪文―十四代文様の誕生

編集部(以下◆)そして、平成8年(1996)から伝統工芸展に出品されていますが、この頃からすでに「墨はじき」を始めていられるようですね。

今右衛門(以下◇)先にも言いましたが、墨はじき自体は今泉の家でもよく聞く技法で、父や十二代の仕事の中にも何点か見られます。ただ、今までではそれほど積極的に使われてはいませんでした。

◆墨はじきと言えば、すぐに雪の結晶の文様「雪文」を思い浮かべてしまうほど、雪文は墨はじき技法にぴったりと合った現代的で斬新なデザインだったと思いますが、この雪文はどのようにして生まれたのでしょうか?

◇伝統工芸展に出品して3年目に「梅花文」の作品で日本工芸会会長賞をいただきましたが、梅の花芯をどう表現しようかと考えていまして、濃淡をつけてグラデーションになるようにしようと思いついて、墨はじきを何度も重ねていきました。そのときに出来上がった作品を見ると、梅の花芯が「雪の結晶」のように見えたのです。そのときに墨はじきの白抜き技法は、雪の結晶の表現と合うのではないかと思ったのです。

◆なるほど、しかし梅からの雪への転換は偶然としても、雪の文様に仕上げるにはなかなか大変なことですね。

◇ええ、色々な人の勧めで、有名な雪博士の中谷宇吉郎の本などを集めたりして研究しましたが、実を言えば、最初の梅の花芯から「雪文」までどのように変わっていったのかよく覚えていないのです。制作しながら徐々に変わって行ったような気がします。
その後、おかげさまで色々な方々から、雪の文様は豊作の吉祥文で縁起がいいとか、茶の湯の世界でも梅と同じで一年中登場する文様だとか、教えていただきました。

◆そして、なんと翌年の伝統工芸展には、また全く新しい「雪花」技法の作品を発表されていますね。これはどういうところから考えられたのでしょうか?

◇以前、京都での修行時代に、八木一夫さんの「賞なんか取ったら、それ(その仕事)はその作家の上がりやで」という話をよく聞いておりましたので、日本伝統工芸展で受賞したときに、次の年には、絶対に別の方向性の仕事をしようと思っていました。
私の古い友人が、白磁の上に上絵の白で絵付をするという仕事をしていた頃に、面白い仕事だから続けろよ、と励ましていたことがありました。結局、その友人はやめてしまいましたが、ふと思い出して、あの雰囲気を何とか表現できないものかと、色々と考えたのです。
最初、釉薬の掛け分けによる方法を試していましたが、どうしてもうまくいかず、「墨はじき」の技法との組み合わせを思いついたんです。下絵のときに、墨で文様を描いて、その上に白の「化粧」をしてみたらどうだろうかと。やはり墨が撥水剤となって、焼けば化粧土の白と素地の白の微妙な差によって文様が表現できるのではないかと思ったわけなんです。
しかし、白化粧(粉引)の技法は本来、土物の生掛けの技法ですから、それを素焼きした磁器の上に掛けることには、もともと無理なところもあったのです。
しかし最初はなぜかうまくいって、伝統工芸展にも出品できましたが、それを次に仕事に取り入れてみると、失敗の連続でした。

◆「雪花」技法は、写真で見るだけではほとんどわかりませんね。白の素地の上に、さらに白い色が掛かっていて、白のグラデーションという実に微妙な色の変化になっています。

(その3へ続きます)

(「炎芸術」 2006年No.86号より)