色紙に書く 座右の銘「人生万事塞翁が馬」
この文章は2008年月刊「武道」に掲載された14代今泉今右衛門によるコラムです。
私の家の色鍋島・今右衛門の仕事は、九州の有田において江戸期から350年、色鍋島の色絵磁器の制作に携わってきた窯元である。
伝統工芸を職とするものに「日本工芸展」という公募展がある。私は30歳半ば頃から出品を始めたが、最初の出品のとき、それまで積み重ねてきた技術を基に試作を繰り返し、江戸期から伝わる白抜きの「墨はじき」という技法を十数回重ねていく方法により作品を創り上げ出品した。入選の報が届き、日本工芸展開催の折、審査委員の方に批評を伺うと、その作品は賞候補になっていたという。審査の方からは「君は若いからそのうち受賞できるよ」と励ましていただいたが、自分自身、次はどのような作品ができるか不安なうえ、正直、残念であった。しかし、翌年、翌々年と制作を重ね、研究を重ねていくうちに、視野が広がり、作り始めた頃とは異なる別の境地を見つけることができ、3年目に日本工芸会会長賞受賞の栄誉をいただいた。後に思い返してみると、1年目に受賞していたら、その後の制作の広がりはなかったのではないかと思っている。
家の色鍋島の仕事というのは、轆轤(ろくろ)による成形、手仕事による絵付、松木の薪による焼成から道具類にいたるまで、いまだにほとんど江戸期の仕事に準じ制作している。さらに陶芸というのは、人間の力だけでなく、自然の火・土・水との共同制作であり、うまくいかないことが多いのも事実である。しかし、うまくいかない、いわゆる失敗というのは、自分の目指すようにならなかったということで、それは視点を変えてみると、最初目指していた色や形よりも、失敗したもののほうが、色や形が良いということもある。また、失敗したことにより研究を重ね、試作を繰り返し、最初とは異なる魅力を見つけることができたことも今までに多々あった。逆に運よく成功したあまり、研究を怠り、先々行き詰まることがあるのも事実である。
このように、何が渦となり、何が福となるかはわかならい仕事である。また、陶芸という仕事は、決められた価値観を表現する仕事ではなく、その時その時の自分の思いを、固定観念にとらわれることなく表現する仕事であるから、40代は40代、70代は70代の美意識による表現に変化していくことは当然のことである。私はその時その時の境遇を嘆かず、自分が置かれている環境や取り巻く事態に常に感謝することにしている。感謝すると、今まで見えなかったものが見えてくる。家の仕事は350年、私の代で14代を数える。350年の積み重ねのなかで仕事ができ、ここまで支えていただいた方々には億を超えるであろう。そう考えると、感謝しても感謝し尽くせない仕事である。
「人生万事塞翁が馬」の諺(ことわざ)は、今までの人生のなかで思い当たる節が多く、感謝の心の原点となっている。これからもさまざまな境遇に遭遇すると思われるが、「人生万事塞翁が馬」の精神で、感謝の心を心として家業に取り組む覚悟である。
月刊「武道」(財団法人日本武道館発行) 2008年 10月号より