皿の縁をいくつかに分割し、窓絵にした様式のものを芙蓉の花が開いた様に見えることから、芙蓉手と呼ばれる。元来、この芙蓉手の皿は中国で作られ、ヨーロッパへ輸出されたものであるが、その後、有田から輸出されるようになった後もヨーロッパの人々の好みを博し、小皿から大皿に至る染付・色絵の作品が大量に作られている。又、寛文年間に11軒の赤絵屋により赤絵町が形成され、藩の保護による赤絵付の制度が確立し、それ以後の古伊万里様式の色絵は、赤絵町の絵師により施されたものと考えられる。